あの震災がもたらしたもの
先日、東京・丸の内にある生活雑貨店「無印良品有楽町」で、トークイベントを開催しました。その時に最も印象的だったのが、最前列のお客さんのバッグから長ネギがはみ出していたことでした。
この店があるのは、いわゆる「西銀座」といわれる地区。こんな都会のど真ん中で、長ネギ? と驚いたけれど、どうやら店の出入り口でマルシェが開かれているのだそう。売り場をのぞいてみると、泥付きの大根やニンジン、中には高知県特産のかんきつ類「土佐文旦」などが並び、紺色の前掛けをした八百屋さんが威勢のいい声を響かせていました。こんなところで八百屋さんに出会えるなんて!と、また驚きました。
その翌日には、「山形食べる通信」2月号で特集した矢ノ目糀屋さんを講師に招き、みそづくりのワークショップを催しました。河北町からはるばる上京してもらうため、都内で行われている他のワークショップよりも参加費を高めに設定せざるをえませんでした。そのため、スタッフの間では「集客を頑張らなくては」と身構えていましたが、いざ告知を始めたところ、たった5日で満席となってしまいました。
参加者の中には、みそづくりの経験者もいました。それでもこの会に参加しようと思った動機を尋ねてみると、東京では珍しい「糀屋」という仕事のプロに会えること、そして、その価値を理解し合える人たちとの新たな「つながり」に期待したのだといわれ、「なるほど!」と納得しました。
久しぶりに訪れた東京は、夜には繁華街のネオンがきらめき、震災前と何ら変わっていないように見えました。けれど、そこを行き交う人たちの心の中では、確実に何かが変わりつつあるようでした。そんな私も、震災をきっかけに山形に移り住んだ一人。隣に誰が住んでいるのか分からない街に暮らしつづけることが怖くなったのです。
私は今、「山形食べる通信」という、都会と山形をつなぐ活動を行っています。この活動は、共感してくれている読者のおかげで続けられています。そのため、私にとって読者は“親戚”のような存在だと考えています。山形への旅行計画の相談には全力でお答えしているし、もしも1993年のような全国規模の米不足が発生したら、読者が食べる分のお米は確保したいと常々考えています。
さらにいうなら、もしも国内のどこかで大きな災害が発生して(そんな事は起こってほしくないのですが)、山形への避難を考える読者がいたら、受け皿になりたいと考えています。都会に暮らす人たちにとって、山形についての相談窓口であり、いざという時の“命綱”になることが、私と「山形食べる通信」の目標です。そのためには、もっともっと、県内各地のたくさんの方々と「つながり」を持ちたい。山形全域で、大きな受け皿をつくっていきたいと思っています。