ひとりごと

郷土料理という、面白くて危うい存在。 


郷土料理という、面白くて危うい存在。 


鶴岡市に嫁いで1年目、度肝を抜かれた料理がある。
それは、7月7日の「あずきそうめん」。
何と「そうめん」に、甘〜い「ゆであずき」を掛けて食べるのだ。

渡辺家恒例の「あずきそうめん」。デザートではなく食事と一緒にいただく。

渡辺家恒例の「あずきそうめん」。デザートではなく食事と一緒にいただく。

炭水化物 + あんこ というのは「おしるこ」や「ぜんざい」に近いので味は悪くないのだけど、いかんせん、そうめんに甘いものを掛けるという発想がない。何と言うか、口に入れたときに脳みそがどう処理したらいいのか困惑するのだ。

義理の母いわく「そうめんを天の川に、あずきを河原の小石に見立てた七夕の郷土料理」とのこと。けれど、周りのネイティブ鶴岡人たちに尋ねても、全く知られていない。「あずきそうめん」で検索をかけてみたけれど、トップに出てくるのは「小豆島のそうめん」という。。。

義母が店のお客さんに話していたら、湯田川地区の人が1人だけ知ってて、「懐かしい」と言われたらしい。
今はもう、この渡辺家にしか残っていない?幻の郷土料理。その存在が消えてしまわないよう、ここに載せておこうと思う。

山形食べる通信には「郷土料理」や「伝統食」を残し、伝えていきたいという想いがある。そのため、これまで度々、地元のおばあちゃんへの取材を重ねてきたが、その存在はつくづく、面白くて危ういものだと感じている。

いま郷土料理と呼ばれている料理はいずれも、過去のある日、どこかの誰かの創作料理として誕生したものだ。それがクチコミで地域じゅうに広がって、郷土料理になったのだ。なぜ、その料理がクチコミで広がるほど喜ばれたのか。背景にはほぼ必ず、時代性や、地域性が存在する。

たとえば、夏の鶴岡でよく食べられる「だだちゃ豆のお味噌汁」は、だだちゃ豆の収穫期で忙しい農家さんの時短料理として始まったし、「メロン子の浅漬け」は摘果したメロンの未熟果を活用したもの。どちらも産地だからこそ生まれた料理で、鶴岡らしさを反映している。

けれど、昔の味をそのまま残しておくのは難しいとも感じている。とくに強く実感したのは「塩納豆」の取材のときだった。

鶴岡市に住む「はる奈おばあちゃん」の塩納豆

鶴岡市に住む「はる奈おばあちゃん」の塩納豆

はる奈おばあちゃんのレシピは分量が「かつお節一袋」とか「納豆3パック」とか。家庭の台所で作る料理だから、いちいちグラムを計らない。その大らかさは魅力でもあるけれど、かつお節や納豆のメーカーが容量を変えた瞬間に味が変化してしまう。実際に、納豆1パックの量が前とは変わってしまったそうで、同じ味を出すのに今でも分量をいろいろ試している最中だという。

はる奈おばあちゃんは納豆10〜20パック分をまとめて仕込む

はる奈おばあちゃんは納豆10〜20パック分をまとめて仕込む

それなら分量を一度きっちり計っておけば解決できるだろう、というものでもない。家庭のレシピには「少々」とか「あんばいを見て」という部分が頻発する。結局、作ってくれる人がいるうちに、できるだけ多くの人が舌で覚えておくしかないのだ。

土地の原風景を伝える料理を、その背景とともに食卓の上に残しておきたい。そんな想いで、今日も山形食べる通信は地元のおばあちゃんたちを追いかけている。

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